加山雄三さんへの手紙とジョン万次郎

私は1982年~1985年までサイパンインターコンチネンタルホテル「京王レストラン」のマネジャーとして勤務していました。毎年年末にはご家族で宿泊なさってたと記憶しています。そしてほぼ毎日「京王レストラン」をご利用いただきました。そして食事の合間に加山さんのお話を直接お聞きし感激したことを覚えています。

そのころ加山さんから直接お聞きした話では 、1970年茅ケ崎ホテルでの巨額の負債を抱えアメリカに渡り安アパートの一室でリンゴ箱を机代わりに、大学で学んだ法律をもう一度真剣に勉強をなさったこと、この経験を口述手記で出版したこと、そして一番の思い出はサイパンインターコンチのお客様でありました加山さんの友人俳優の本郷淳さんと一緒に光進丸を訪ねたこと、各部屋にはギターが置かれ、その部屋でとっておきのウヰスキーをごちそうになりながら加山さんから家族、船にたいする想い、海の素晴らしさをお聞きしました。奥様との出会いのエピソードとして光進丸に初めて女性を何人かお迎えしたとき船がかなり揺れ、その時奥様が踏ん張ってキャビネットを押さえたその姿を見、好しこの女性と結婚をと決められたことなど微笑ましいお話を聞いたことを思い出します。またその頃500トン級の船を造る計画があり模型を見せていただいた記憶もあります。海に自然にふれあう喜びを楽しく語っていただき、海を尊び家族を愛する海の若大将の想いを存分に聞け幸せな夜でした。

私は現在ふるさと高知に帰り一般社団法人高知サマサマCCRCセンター(サマサマとはインドネシア語でおかげさまという意味)を運営しながら人口過密な首都圏から少子高齢化最先端の高知県へ元気で知識欲旺盛なシニア世代を呼び込む事業に取り組んでいます。

私の生まれ故郷は高知県土佐清水市中央町、生まれ育った家の前には中浜万次郎の歌碑が立っています「村田英雄のあぁ万次郎」です。ジョンマンは1827年、土佐清水市中ノ浜に生まれ、14歳の冬カツオ漁に出、嵐に合い鳥島に流されます。数年後アメリカの捕鯨船に助けられアメリカで航海士の勉強を受け、世界の海を捕鯨船に乗って巡っています。(ミクロネシアの島々、インドネシアジャワ島、小笠原諸島にも立ち寄っているようです)

ペリーが浦賀に来航する160数年前ジョン万次郎は世界の海を捕鯨船で巡り、一人カリフォルニアの金鉱に出向き資金を得てアドベンチャー号を購入しアメリカから10年の時を経て鎖国日本琉球に上陸、薩摩藩島津斉彬藩主にアメリカ事情を話し、土佐に帰り河田小龍が聞き取りをしてそれを坂本龍馬に伝える。龍馬は世界と貿易するビジョンを持ち海援隊を結成する。

ご承知の通り名り1860年(万延元年)咸臨丸にてサンフランシスコへ渡るこの運航での万次郎の活躍はブルック大尉の記述に書かれています。(咸臨丸ブルック大尉と検索すれば出ます)。万次郎のアドバイスで慶應義塾の創始者福沢諭吉がウエブスター英語辞書をアメリカで手に入れたことは有名な話です。(慶応義塾大学出身加山さんの父上は薩摩藩士の末裔)

ジョン万次郎は島津斉彬の命で薩摩藩士や船大工に洋式の造船技術や航海術を教えています。

ジョン万次郎は150年以上前にアメリカの「ボーディッチ航海術書」を翻訳しています。

ジョンマン次郎は幕府の軍艦操練所の教授でありました。

ジョン万次郎は小笠原諸島の開拓調査をしています。

ジョン万次郎はアコーディオンの名手でありフォースターの曲を奏でていたと記述に在ります。

海を尊び汽船を動かせ音楽を奏でる昭和の海の男「加山雄三」に幕末の海の男「ジョン万次郎」の功績を顕彰していただき是非「世界ジョンマン会」の名誉会長にご就任していただきたく思います。